春日野

春日野の歴史

春日野の歴史

 春日野は昭和2年には先々代土屋良造、マサエ夫妻が現在の地に屋号「春日野」を始めました。その頃は春と秋の半期だけの商売を行っており。夏は旅館業を営んでいました。今はもうないのですが、当時日本で唯一の芝生のグランドであった春日野グランドがすぐ近くにあった為、早稲田大学サッカー部、明治大学ホッケー部、明星サッカー部などの合宿所として使われていました。

春日野外観
昭和2年頃の春日野
春日野の周辺
 春日野の裏にあたる茶山園地は木が生い茂った森でした。今はほとんど無くなってしまった松の木も沢山あり、松茸が普通に生えていて、鹿がそれを餌に食べていました。
昭和18年ころの若草山
昭和10年頃の春日野

 昭和の初め頃の店の前は舗装されていない道でした。それでも観光地であった為か、当時にしては珍しい車で訪れる人がいて、記念写真を撮ったものです。当時国産車はなく、今でいう外国のクラシックカーが走っていました。奈良県には信号が一つしかなかったそんな時代です。


 昭和18年、19年第2次大戦中は、大阪の生野区の小学校が3,4,5,6年生の疎開学校として利用していました。当時私は3才~4才で、お兄ちゃんお姉ちゃん達と若草山でいっしょに過ごしたことを記憶しています。当時の若草山はススキがあまりなく、短い草の山でした。鹿も今と違って痩せていたので、野生に近かったと思います。

春日野外観
昭和18年頃の若草山

現在の春日野
現在の春日野

 戦後、先代にあたる土屋良一が戦争から帰ってきてから祖母にあたる土屋あぐりと戦後の混乱期、旅館よりも行楽シーズンに合わせた食事場所提供の食堂として経営にあたりました。 昭和20年代後半には観光バスが走り始め食事とお土産の店として現在の春日野の形態の基を作りました。